The Yoga Tradition 第3部:古典期のヨガ(Classical Yoga)
第3部:古典期のヨガ(Classical Yoga)
パタンジャリのヨーガ・スートラを中心に、古典期ヨガの歴史・文献・哲学・実践を詳述する章。Feuerstein はパタンジャリ・ヨーガをヨガ史の「黄金の結晶化」と位置づける。
第1章:The History and Literature of Patanjala-Yoga(パタンジャリ・ヨーガの歴史と文献)
パタンジャリとは誰か
- 成立年代には諸説あり、紀元前2世紀説・紀元後4世紀説など幅広い範囲で議論される。
- パタンジャリが文法学者マハーバーシャの著者と同一人物かどうかも長年の論争点。
- Feuerstein は複数の著者・編集者の手を経た可能性を論じながらも、思想の一貫性を評価する。
主要テキストと注釈の系譜
| テキスト | 著者 | 時代 | 内容 |
|---|---|---|---|
| ヨーガ・スートラ | パタンジャリ | 紀元前2〜後4世紀 | 195の格言からなる根本経典 |
| ヨーガ・バーシャ | ヴィヤーサ | 5〜6世紀頃 | 最重要注釈書 |
| タットヴァ・ヴァイシャーラディー | ヴァーチャスパティ・ミシュラ | 9世紀 | ヴィヤーサ注釈への再注釈 |
| ヨーガ・ヴァールッティカ | ヴィジュニャーナ・ビクシュ | 16世紀 | ヴェーダーンタ的解釈 |
| ラージャ・マールタンダ | ボージャ王 | 11世紀 | 王による独自の注釈 |
テキスト伝承の特徴
- スートラ(格言)形式:極限まで圧縮された言語。注釈なしでは理解困難。
- 口伝から文字への移行期の産物として、複数の伝統の統合が見られる。
第2章:The Philosophy and Practice of Patanjala-Yoga(パタンジャリ・ヨーガの哲学と実践)
サーンキヤ哲学との関係
パタンジャリのヨガはサーンキヤ哲学を基盤とするが、重要な違いがある。
| 項目 | サーンキヤ | パタンジャリ・ヨーガ |
|---|---|---|
| 神の存在 | なし(無神論) | あり(イーシュヴァラ) |
| 解脱の方法 | 知識による識別 | 実践的ヨガ + 識別 |
| 焦点 | 理論・哲学 | 実践・技法 |
チッタ(心・意識)の構造
- マナス(Manas):感官の処理器。外界の情報を収集・整理する。
- ブッディ(Buddhi):識別能力・知性。真我と非真我を見分ける機能を担う。
- アハンカーラ(Ahamkara):自我意識・我想。「私が~する」という同一化の源。
- チッタ(Chitta):心の全体。上記3つを包含する意識の総体。
チッタ・ヴリッティ(心の波立ち)の5種類
- プラマーナ(正知):直接知覚・推論・聖典による正しい知識
- ヴィパリヤヤ(誤解):誤った理解
- ヴィカルパ(言語的錯覚):言葉のみによる概念
- ニドラー(睡眠):無の状態への意識の沈潜
- スムリティ(記憶):過去経験の再現
五大煩悩(クレーシャ)
- アヴィドヤー(無知):あらゆる苦の根本原因
- アスミター(我想):真我と心・身体の同一視
- ラーガ(執着):快楽への渇望
- ドヴェーシャ(嫌悪):苦への回避
- アビニヴェーシャ(生命欲):死への恐れ
八支則(アシュターンガ)の詳細
八支則は外的な社会規範から出発し、内的な意識の深化へと段階的に進む体系。
- ヤマ(Yama)禁戒:非暴力・誠実・不盗・禁欲・不貪。社会的倫理の基盤。
- ニヤマ(Niyama)勧戒:清浄・知足・苦行・自己研鑽・神への帰依。個人的規律。
- アーサナ(Asana)座法:安定して快適な姿勢。古典期では瞑想のための座のみを指す。
- プラーナーヤーマ(Pranayama)呼吸法:プラーナ(生命エネルギー)の制御。吸気・保息・呼気の調整。
- プラティヤーハーラ(Pratyahara)感覚の制御:感覚器官を外界から内側へ引き戻す。
- ダーラナー(Dharana)集中:一点への心の固定。
- ディヤーナ(Dhyana)瞑想:集中の継続的な流れ。
- サマーディ(Samadhi)三昧:観る者と観られるものの融合。最終的な解脱状態。
サマーディの段階
- 有想三昧(サムプラジュニャータ):対象を伴う三昧。さらに有尋・無尋・有伺・無伺に細分。
- 無想三昧(アサムプラジュニャータ):対象なき三昧。潜在印象のみが残る。
- 無種子三昧(ニルビージャ):全てのサンスカーラが滅した究極の解脱状態。
Feuerstein の現代的評価
Feuerstein はパタンジャリのヨガを単なる宗教体系ではなく、意識の科学として捉えることの重要性を強調する。また八支則は順序通りに進む直線的な道ではなく、相互に補完し合う多次元的な実践であると論じる。